物心ついたころから、お気に入りのおもちゃは本だった。
母が、長いこと付き合いのある友人から通信教育の教材販売の案内を受けたのだ。
誰でも知っている教育業界の最大手が出版する揃いの図鑑である。
自然科学、歴史、文化、語学までそろって12万円。
安くない値段に悩んだろうが、母は当時2歳の私が図鑑に興味を示すことに賭けて、すべて購入した。
結果は大当たりだった。
全てを読むわけではなかったが、人体図鑑と恐竜図鑑はお気に入りで擦り切れるほど読んだ。
幼稚園でつんだ花を植物図鑑の中から探すのが好きだったし、鳥類図鑑などに食い入るように読み入って、一見よくわからないカラスの区別などもできるようになったほどだった。
そんなわけで私の生活には常に本があった。
高校生になって初めてできた彼氏も、図書委員会を共に務める本を愛する人だった。
進学校だったので勉強が忙しくろくにデートなどしなかったが、図書館を黙ってふらつくのが好きだった。
おすすめの本を紹介しあうなどという野暮なことはしなかった。
そのころには、どんな本に惹かれるかというのは、自分のいっとう汚いところを見せるということだと思っていたからだ。
大学生になるともっぱら新書ばかり読んでいた。
特に教育、心理学に興味を持ち、大学の書籍部で売られている本を買っては読んだ。
お金がなかったので分厚い専門書には手が届かなかったが、手軽に買える新書は私の味方だった。
そんなときであった人文学部の友人は、いわゆる本の虫だった。
自分で選び淹れたこだわりの紅茶を手に狭い宿舎で頁を繰る姿は、ストイックな書生だった。
彼は卒業後古書店を開いた。
下町の商店街に小さく構えた店だった。
本に丁寧にパラフィンを掛けながら「娘をたくさん育てている気持だ」と言って、紅茶を入れてくれた。
いくら電子書籍が発達しても、本は本であると思う。自慢のオーダーメイド書棚を埋め尽くす背表紙の流し目に胸を高鳴らせることを忘れたくないと思う。